3.
八甲田山。
実際はそういう名前の山があるわけではなく、いくつかの火山や頂丘が集まった山群である。
ふもとには有名な酸性温泉があり、年中問わず湯治の場として親しまれる。しかし過去には多くの人が遭難したこともあり、様々な意味で「非常に厳しい環境」である。
もちろん豪雪地帯であるが故に、今時期はいたるところが通行止めとなっている。
しかしながら、八甲田山を割るようににまたがる県道は、間もなく大型除雪車により開通され、「雪の回廊」と呼ばれる有名な観光スポットとなる。
また、奥羽山脈が本土の東西を割っているため、津軽地方から押し寄せる雪雲をせき止めるという、重要な役目も担っている。だからこそ、山頂付近では自然が織りなす「樹氷」が立ち並び、人々を魅せつける。
しかし。
確かに自然が織りなす神秘ではあるのだが、この景色は私にはまるで、人が首を垂れて祈る姿にも見えるのだ。
寒さに耐えかねて祈りか、それとも何か別の何かに向けての、怖れかとも。
さて。
どうして私が、わざわざ寒さに弱い私が、朝も弱い私が、こんな早朝に、こんなところに超耐寒重装備でいるのかという話である。
理由は三つある。
一つ目。
私の後ろにいる天使の妹こと、アインちゃんのお願いに付き合っている。
二つ目。
そのアインちゃんのお願いをかなえるには、ある人を探す必要がある。
三つ目。
そのある人とは、浄点の魔女の実母。いうならば、先代の「露の魔女」である。
先代「露の魔女」こと、西方結露(にしかたゆつゆ)。
過去にはクゥさんとの交流もあり、それこそ今の浄点ちゃんこと露華ちゃんと同い年のころは、例の図書館にも行き来していたことがある。
ただ、どうやら複雑な事情があるようで。露華ちゃんが赤子のころ、今の両親に「養子」として迎えられたことは知っているようなのだが、本当の親のことは知らないようだった。
一応つけ加えると。
「特に知らずともいいかな。あの、嫌いとかそういうことじゃなくて、きっと何か事情があったのだろうし、今の私は田中露華ですし、私の両親は今の両親ですから。」
とのこと。
しかし、今は西方結露に、どうしても会わなければいけない。
「…だからって、なんでこんなトコに…本当にいるのかしら…。」
凍てつく空気が喉に、肺に刺さってくる。
本当なら冬眠しててもいいような存在の私。今までもいろんなことがあって、まぁ色んな裏取りや裏での行動もしてきたけども、ここまで過酷なことはあったかしらね…。
「…アインちゃん、大丈夫?無理してついてこなくとも大丈夫だったのに」
後ろをしっかりついてくるアインちゃんに声をかける。
ただ、私ほど重装備ではないし、いうなれば妥当で正しい恰好であろう。
しかも、悲鳴を上げている私と比べても、かなり元気な様子である。短く「ウン」と返事をし、手に持ったトレッキングポールをぶんぶんと振って見せる。
内心「いいなぁ…」と思いながらも、見栄を啖呵を切った以上、私も頑張らなければと思い直い、スノーシューを付けた足を動かしていく。
さかのぼって、おとといの昼。
『え、先生?昨日電話したばっかりだけども、樹氷を見に行くって言ってたかな。あ、シオ、ちょっとホットケーキそれまだ液体だから食べないでって…』
西方結露を先生と呼ぶのは、もう往年の付き合いになる季縁(いづな)だ。
まぁこりゃまた複雑なのだけども、今の季縁は「私か昔から知る妖狐」と「20代の女の子」が混ざっており、簡単に言えば「どちらの記憶」も認識しているし、存在としても同一となっている。
おそらく電話の向こうで料理をしているのだろうけども、季縁の双子の子供(こちらも妖狐であって、子供の姿にもなれる素質がもうある様子)と一緒なのだろう。きっと女の子のほうかな。
「季縁はあれなんだっけ。先代の露の魔女が、子供のころの先生だったんだっけね」
『そうそう。「狐としての」私にとってあなたがそうであるように、「人ととして」の私にとって、先生は本当に命の恩人かな。」
季縁は難読障害(ディスレクシア)であるが、人としての生き方を教えてくれたのは、西方結露こと先生の存在が大きいという。
それこそ「母」のような慕い方だが、季縁と年の近い、かつ実の子である浄点ちゃんには、どうして「親」としていられなかったのだろうという疑問が、無いわけではない。
しかし、きっと「浄点」という言葉が何かしらの障害となったのだろうとは、想像に難くない。
兎も角。
季縁いわく、樹氷や景色を写真に収めたいとのことで、数日は山頂付近でテント泊をするとのことだった。
電波も届かないだろうから、すでに季縁から連絡を取ることができないそうで、去年は10日以上滞在したらしい。
それも踏まえて、現状時間のないこの状況。
諸々を鑑みて得た結論が、直接こちらから会いに行くというものであった。
一応私自身も数泊は覚悟したうえで、バックパックにはテントだけではなく、一通り必要な装備を備えて来た。
とはいえ、本来なら冬眠するようなモノであるからか、どうにも力が入らないのも事実。これが春や夏なら御山のごとくビュンビュン移動できるのだろうけども、今の私は体感上、3,4割ほど弱体化しているといっても過言ではない状態だ。
例えるなら、風邪ひいてるみたいな、そういう感じ。
まぁ…立場としても存在としても、「御山」の山長の私が「別の山」に来ているのだというのだから、そういうこともやむを得ないだろう。立ち入った瞬間に雪崩を起こされてぎゃー、ということにはなっていないのだから、この山に嫌われているというわけではないだろう。
さて。
そんな状態だからこそ、そろそろ当人を見つけ、目的を果たしたいところではあるのだが…。
こういう都合じゃなければ「わぁ、いい景色」なんて観光気分だったのだろうが、あたりを見渡しても、祈り姿のような樹氷しか見つからない。
こまったなぁとボソッと独り言を言う頃になると、日も傾いてきており、そろそろテント泊の覚悟をしなければいけない頃になってきた。
「アインちゃん、今日はいったん現地入りできたし、テントを…」
とアインちゃんに声をかけると、アインちゃんはある方向に向かって手を向ける。
彼女は私たちの右手、斜面にある小さな窪みのほうへ。
「…どうるさん、あそこ。」
ちょっと遠いけれども、吹雪の切れ間である今だからこそ見えた。
すぐさま私は「目を凝らす」と、ほのかにともる小さな明かりと、立ち上る煙のような、湯気のようなものが見えた。
そして、「浄点ちゃんにどこか似た雰囲気」を見受け取れる。
流石アインちゃん、これは大手柄。
アインちゃんに向かってしっかりとうなずき、私たちはその方向へ向かい始める。
西方結露。
先代、露の魔女。
娘のような浄点というわけではないが、おそらく「カン」の良さと「事象を紐づけて予測を見る」ことだけなら「私」以上と、クゥは評する。
その評価に対し、私は何も言い返せないほどの納得感を抱いている。
なぜならば。私も過去に、西方結露が高校生の時合に、図書館で一度会っているからだ。
そして、私を一目見て、その場で脈絡も何もなく、私の「殺し方」を唯一当ててきた「人間」。
クゥ自身が言っていたのだ。
もしクゥ自身に何かあったときは、西方結露を訪ねろ、と。
そう。
アインちゃんのお願いをかなえるために、「いなくなったクゥ」についての手だてを得るために、いや、おそらく「そうなのだろう」という見当はついているけども、それを確たるものとするために、わざわざこんなところまで来たのだ。
いつもならば、「おそらく」の状態で事足りる。
しかし、今回は別だ。状況が状況であり、私の予想が正しいのなら、きっと、あまり時間がないからである。