「あ、編集長、お疲れ様です。はい、まだちょっと時間貰えますか?」
公私混同なんて、鼻っからだ。
それを知ってか、「全然OK」と二つ返事をくれた編集長の懐たるや、きっと底なしの沼だろう。
海じゃないって?
あの人の腹の中はどうせ沼だ。
なぜなら、ここに来る前に電話して出なかったのに、私がここについてからようやく、電話に出たのだから。
どうせ私が「続ける」ことなんて、わかっていたんだろうさ。
にしても、「こんなところ」まで来て電波が届くとは、文明の発展とは遅しい。こんな、文明とはかけ離れている、いつかの頃のままの場所に。
多少風化したようには見えるが、本質的なところは全く変わらない、ということがふさわしい。
通話を切って、私は大きく息を吸った。
澄んでいる。
澄みすぎている空気。
「変わらない。おばあ様と来たのだって、もう20年以上も前だというのに。」
熊でも出てきてもおかしくないし、実際に何度も出ているし、一人で来るべきところでは、決して無い。色々な意味も込めて。
「幸いにも私が一緒だし、よゆーよゆー」
そういう信政公の口調からは、とても余裕を感じられない。
きっと文字にしても、wとか☆とかvとか、まったくないのだろう。
本当なら、先に鬼神社や厳鬼山神社へ行くべきなのだろう。
鬼神社の「鬼」は、赤倉大権現とも呼ばれるし、厳鬼山神社は御山岩木の奥社の対になるもの。
しかし、ショートカットだ。
「きっかけ」がここまで誘ってくるのなら、飛び越えて乗り込んでやろう。
けれども、そのショートカットすら、想定通りだとしたら、「きっかけ」さんは相当のキレ者ってことよね。
余計に顔御見てみたいと思うじゃない。
津軽赤倉山神社奥宮。
もともと此処の歴史は、そうそう古くはない。
この地に昔から現れる、「カミサマ」または「ゴミソ」と呼ばれる人たちが、それぞれの個と教えを持ち集まった地である。
ただし、それ以前にも修行僧である「山伏」が、この地を修行の場としていた。最初から御山にあった、隠された霊場であり、神域であるのだ。
その身に神を降ろす。
恐山のイタコと似通ったルーツを持ちながらも、あくまで山付きとして、山が選んだ巫女のようなものが、「カミサマ」という。
だからこそ、おばあ様も、ここによく来ていた。
私はそれについていったものだ。
…だから私をここまで引っ張ってきた…?
おばあ様はホンモノかもしれないが、私は違う。
カミサマは血縁ではなく、あくまで一世一代だという。
「いつか、よっぴーが言っていたよ。私はよっぴーの孫に会い、そしてすぐに、此処へ導くことになるんだって。」
「そのきっかけが、『赤倉の熊』?」
そのとおりだよと信政公は言い、奥宮の更に向こうへ、歩みを進め始めた。
そもそも、時代のつじつまが合わないのだ。
この赤倉が本当に最近できた場所だというならば、鬼神社も厳鬼山神社とも、時代が合わなすぎる。
それに、この地に住むと言われていた鬼と、坂之上刈田麿命が組したとされるのだって、いうに1300年は昔の話だ。そのころからこの赤倉には、龍や鬼、白山白姫の伝説だってあるし、さらにさかのぼることにいとまがない。
また、岩木山の三所大権現は、岩木、厳鬼、鳥海だ。赤倉ではない。しかし、表にある岩木山神社の対となる赤倉神社と伝えられている。
わざわざ、裏を設ける理由はなぜか。
こういう時に良くある話が、「裏がホンモノ」である。
私が知りたい、いや、おばあさまのことを考えると、知るべきであるホンモノなのだろう。
「あの熊の人、未だにどこまで先を見ているのか、正直わからないんだよね。何も考えてなさそうに思えば、実は先を見ているのではなく、その先になるように「調整」しているとも思えた時さえあった。」
「それが、『山伏』の山長の人ってことね」
「あれ、私そこまで言ったっけ?」
「私のカン…なに、そこまで笑わなくても」
隣を歩く信政公は「よっぴーに似てきたねぇ」と云い、無邪気にも笑う。
しばらく歩くと、先ほどとは違う笑いで、信政公は声を出す。苦笑に近い。
「この先に、行く必要はないのね。貴女は本当に優しいヒトだ
さぁ、まごちん。
いや、吉川コウ。
どうやらここが、到達点である。
あなたの知りたい真実は、キッカケは、この向こうに居るはずだろう。」
格式を感じられるような、威厳の伴った、信政公の声だった。
この二日で私が聞いたことのない彼女の声は、私の背を押す。
古びた小屋のような建物。お堂と呼ばれる建物の一つ。
そこが、ゴールらしい。