//おかしな少年と神様の少女//
//母狐の書き方//
4.
「ごめんなさい」「死なないで」と、二つのすすり泣く声が聞こえる。そのおかげか、途切れていた私の意識が戻ってきた。
けれども、視界はぼやけてしまっているから、二つの鳴き声の主がわからない。二つ、二人いるのは、辛うじてわかったけれども、私の頭は仰向けのままで、首を動かすことができない。
ふと、無意識に、私の右手がお腹を押さえていることに気がついた。ぬめりのある液体の感触。それが熱いのか冷たいのかは、私はわからなかった。なんか、何もないような、そんな、奇妙な感覚がある。
同じような感触を首にも感じた。こっちはもっとぬめりのある液体の感覚が多くて、どくどくと流れ続けていた。それも私の体から。
あー、なるほど。だから首が、体すら動かないのかと、そう理解するまで、すすり泣く声をしばらく聞いていた。
どうやら、そういうことらしい。
こう、なんだろう。こういうとき、何を考えればいいんだろう。そりゃ嫌だけど、こうなってはしかたないし、今さらどうしようもない。
そんなさらっと考えられているのも、なぜか不思議にかんじる。
あ、そうだ。タイミングよく誰かが通りかかって、私を助けてくれないだろうか。そのあとはどうかわからないけれど。その前に、そこ二方、ちょっと動けないので、助けてくれないでしょうか。
そう声を出そうとしたけど、私の喉はヒューヒューと空気もれを起こしていた。これでは声を出せない。うめくことすら出来ない。
けれども、不思議と、「だい、じょ、ぶ、だよ」という言葉は、すすり泣く二人に対しての言葉は、辛うじて声になった。声とは言いがたい、途切れ途切れで掠れてしまった音なのに、二人には届いたようで、泣き声が少し和らいだ。
そこでぷっつんと、意識が途切れたんだろう。
ふと気がつくと、真っ暗な空間の中に私が裸で浮いていた。体は動かないし、聞こえる音もなければ、どのくらい浮かんでいたのかも、分からない。
居心地も、わからない。いいのかわるいのか。
ここは、死んだ後の、世界?
なんて、どうなんでしょう。
ただ、遠くのほうで、碧く、暗く、夕焼けのような、そんな光がゆっくりと揺れていた。それはきれいだと思ったし、眺めていても飽きもしない。その光だけは、心地よいと思えた。
本当に、曖昧なところ。
すると、その光の中から、私のほうに伸びてくる私の中に、黒い色が、ゆっくりと流れてきた。私のほうに、確かに伸びてきている。
伸びてきて、私の体を包んでいく。とても暖かな、とても、穏やかな、黒い色が。
私の中に吸い込まれて。
ハッと、目を覚ました。
雀の鳴き声と、まぶしい光が、朝であることを分からせた。さっきまで夜だったのにと、すこし変な気分になる。どうやら、今度こそ気がついた、ようだった。
ゆっくりと息を吸ってみるとカラカラになった喉のせいで、鋭い痛みにむせそうになる。それでも私は息をできていて、生きていた。てっきり、もうだめだとばかり、思っていた。
真っ白な天井とカーテンと、消毒液の独特なにおい。あと、四角い角ばった、ちょっと硬い枕の感触。ここが病院だと言うのも、すぐわかったけど、同時に少し、憂鬱になる。
実は、あまり病院は好きじゃない。むしろ苦手で仕方がない。
診察がやだとか、薬が無理とかではないけど、先生に会う前を思い出すから。
何しろ「○○科へ行ってくださいねー」と言われても、看板が読めないし迷子になるしで、本当に駄目なのだ。だから、いつも通りがかった看護師さんや先生に、あわてふためいているところを助けられて、とても恥ずかしい思いをする。
ここは図書館、学校に次ぐ、第三の魔境。
目が覚めたんだから、早くここから出れないだろうか。
とおもっても、こんな怪我をしては。
こんな、怪我。
え。
「なおって、る・・・」
いや、いやちがう。
消えて、無くなっている。
触れても押しても、何も、変わらない。
そんのものは、はじめからなかったと、どこにあるのでしょうかと、私自信の記憶を瞬時に疑うほど。
いつから、いつのまに、自分の喉と脇腹の傷は、「なくなっていた」のでしょうか。
あんなにも血が出ていたというのに、深々と刺されていたような感触もない。ちょうど穴が開いていた辺りを、指でぐいっと押してみるけど、五も通り余り気味の肉の感触がするだけ。かなしい。悲しいけど、求めていた感触と違った。本来有ってはいけない違和感が、まるでない。
血の気がスッと引けていくのがわかる。背中にかいた汗は、一気に冷や汗に変わっていく。
そう、そもそも私は、今眼が覚めるまで、真っ暗の中の、遠くのきれいな光を見たのを、それに心地よさを感じたのを、覚えている。きっとあれが死んだんだと、そう感じたことも、覚えている。
そうだ、もう一度あの場所に向かえば、たどり着けない写真の場所に向かっていけば。って、そもそもなんであの写真のバス停に向かったはずなのに、山奥に迷い混むのか。そこから疑うべきなのかも。
旅館のところをすぎてすぐ、うたた寝てしまって、気がついたら山の中、なんて。
いやいやいやいや、そこからしておかしいじゃないですか。私はいつバスを降りたんだって話ですし。
そう。そのあと。
私は何かの動物に襲われて、わたしのそばですすり泣く子供の、声。
「そうだ、大丈夫だからって、伝えなきゃ」
きっと心配している。
まだ泣いてるかもしれない。
急がないと。
そんな思考に、突然支配されたのです。
思えば、私がこんな行動に出るなんて、私らしからぬことだと気がつくべきでした。
繋がっている点滴の針を、管ごとかまわず引き抜く。普通は痛いはずなのに、そんなことも感じないまますぐ立ち上がった。
幸いと、着ているものは私服のままだったからか、傍に置いてあった小物入れ袋を乱暴に掴みとって、後ろ髪も結わずに病室を飛び出した。
入り口の鏡に一瞬写り混んだ私は、相変わらず前髪で目元を隠していたけども、瞳が、鈍く赤く、光っているように見えたのです。
まるで、獣のように。
「で、抜け出しちゃったのか。」
彼女の病室に、私と先生の二人。巡回していた後輩が気づいたときには、しっかりと布団は整えられて、彼女の姿はなかった。
受け付けの子は、彼女が私服で出ていったのを目撃していた。少しおどおどしていたが、てっきりお見舞いの方かと思ったそうだ。よくある話だし、仕方のないこと。
しかしながらと、私が受け持つ患者さんで、二度目の脱走者。
いんや、三度目か・・・。静真も昔、抜け出して探しだすまで、二日かかったことがあった。
そもそも、何で病院の玄関に、誰にも気づかれずに倒れていたんだろうか、というのもある。まるでくろちゃんとおんなじだ。
そう、前回のくろちゃんなんて、結局見つからないし。かなり狙ってたんだけどなぁ。あと二年、いや三年まてば、とまで考えていたというのに・・・。
「鎹さん、いまやましいことでも考えていませんでした?」
「えあっ!?え、あ、いや、そんなことは」
「そうですか?まぁ以前の彼と同様に抜け出されたから、さしずめあの彼のことでも思い出して、あと二年、いや三年待てばなぁ、なんて考えていたと思ったのですが。」
この先生はエスパーか。
私がこの病院に赴任して、この先生の専属の助手になってから、かれこれ五年にはなるし、そりゃお互いに意思疏通が慣れているというか、そういうところはあるけども、にしてはというところ。
「けれども、あの時だけでしたよね。」
「な、なにがですか?」
「際どいスカーt」「碧生さん、とこいったんでしょうか。警察に通報した方がいいですよね。」
「華麗にスルーされましたね・・・。まぁ今回はそうですね。外傷はないとはいえ、気になるところもありますから」
碧生季縁。幼少の頃に難読障害により、障害者認定を受けていると、カルテに残っていた。その事だろうかと聞く前に、先生から彼女の血液検査の結果が差し出された。
目を、疑うと云うのは、こういうことなのかもしれない。
「きみには、これはどう見えますか?」
「・・・先生、検査に動物の血でも使ったんですか?」
「私は医者ですよ。命の関わるもので、そのようなことはしませんよ。」
わかっていますとも。
それでも、そう聞くしかない。この検査結果を目の当たりにしては。
「正直、これをそのまま、然るべきところに提出するかどうかは、悩ましいですね」
「この検査結果がなければ、即通達できたんでしょうけども...」
人間の血の特徴ではない。
専門分野ではないから、はっきりはしないけど、きっと先生も同じことを思い付いているはず。
一緒に手に持っていた、動物図鑑が、それはもう如実に物語っている。
「鎹さんは、動物に詳しかったでしたっけ?」
「残念ながら、小動物のような小さい少女は知人に、あいや、親戚にいますけども、あと弟も。残念 ながら動物は範囲外ですね。」
「それは残念。いや、どうなんでしょう。まぁともかく、これは一度、私の方であずかっておきますよ」
「先生」
預かる、という言葉を遮る。
「蒼生さんの、この件、私に少し時間くれませんか?」
「心当たり、があるようですね。わかりました。特例で、しばらくあなたに調査してもらいましょう。」
これも立派な助手活動ですから、と先生は言って、動物図鑑も手渡された。
先生らしい。すでに見当がついている動物に、付箋がついている。
しかも、この動物は・・・これなら、好都合なのかもしれない。
漫画とかでも、むかしからよく題材にされる動物だ。
これはもう遥無ちゃんと、静真に任せてみようか。
「ありがとうございます。早速、外に出てきます」
正直オカルトなんて、遥無ちゃんに会うまでは、漫画やゲームの世界の話だと思っていたけど。
先生には少し失礼だけど、少しだけ、ワクワクしている私がいる。碧生さんにも失礼だな。だめだめ。
私は病室をあとにして、ケータイで静真に向けて通話をかけた。相変わらず気だるそうな声で、すぐに電話に出てきた。
「静真、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いい?
あんたと遥無ちゃん。そっちの分野だから。」