//おかしな少年と神様の少女//
//母狐の書き方//
7.
もう少し詳しく、私の体質と、それにまつわる昔話を。
いつの頃からかってのは、無い。先天性のディスレクシア。
それが現代で使われていよとも、他の国の文字でも、はたまた古代に使われていた文字だったとしても、不思議なことに、最初から私は、文字が読めませんでした。
いろんな病院にも連れて行かれたけれど、何処もかしこも、原因が分からないとだけ。大小さまざまな、とっても複雑そうな検査機械を使う度に、両親の表情が次第に複雑になっていったのを、3歳の私は眺めていました。
小学校にも行けませんでした。そもそも、6歳になって、初めてこれが文字だと分かったのだから、どうしようもない。小学校という存在すら、学校というところすら、知らなかったのですから。それまで、『これが文字だ』と言われて見せられても、『何が何だかわからなかった』のだから。
そのころの私は、そもそも一般常識どころか、知識というものがまるでありませんでた。テレビを見ても、何を話しているかはわかるけど、何をしているのかが分からない。何が書いているかが分からない。何より、テレビを見るという行為すら、両親には邪険に扱われて、ついに私は鍵のついた4畳半もない自室、いや、物置に閉じ込められる日々を送っていました。物置なんだから、電気だってない。窓だってない。トイレすら。今考えると正気じゃなかったけど、部屋に置かれたペット用のソレにしていました。お風呂だってないから、粗末な食事と一緒に、濡れた手拭いで体を拭いました。布団はたまに投げ入れられる新聞紙を使って、服は着替えたことがなく、いつからか、ほぼ裸も同然の状態でした。たまに風邪のような感じになったりしても、誰も助けてくれません。不衛生極まりない部屋に閉じ籠っていたし、体が痺れたり意識が失せたりと、何度か、死んじゃう、と覚悟したこともあるほど。
今更考えるまでもなく、私は、人間として扱われてなんていませんでした。
6歳になるまでだから、きっと3年くらいは、そんな生活をしていたんだと思う。
そして、それを当たり前のことだと、私は思っていました。だって、他を知らなかったのだから。
けれど、3年たって私が6歳になったくらいの頃、ついに転機を迎えました。
突然にそして久々に、物置のような部屋から出してもらったんです。お母さんがドアを開けて、私の手をぐっと掴んで引っ張ったんです。そしたらお風呂場に連れていかれて、頭から暖かいシャワーを浴びて、お風呂にまで入れてもらって、伸びきった長い髪をドライヤーで乾かしてもらって、見たこともないきれいな洋服を着せてもらったんです。
「お母さんが昔着ていた(/いらなくなった)服をあげる」
「この靴も(/ごみに捨てるつもりだったから)あなたにあげるわ」
驚くほど、お母さんの顔が優しかったのも、覚えているんです。3年ぶりに見た、優しい優しいお母さん。本当に、優しかったんです。
それが終わると、すぐ外に連れて出されて、初めて自分の家の車に乗りました。4人乗りの乗用車でした。初めてお父さんが車を運転している姿を見ました。
そのあと私は、車で長い時間揺られて、どことも知らない街まで 行きました。窓から流れる景色が、私にはとても新鮮に見えました。同年代の子供が、公園で遊んでいたりしていました。道路は舗装されているけど人が一人もいないような村を通ったり、大きな図書館のあるところの前を通ったり、広い田んぼが広がった先に大きな町があって。
3年ぶりに見た外は、3年前に見ていたはずの景色なのに、初めて見たように、私の心を躍らせました。
夕方になるころに、大きなショッピングセンターにつくと、やっと私は車から降ろされて、お母さんとお父さんに手を引かれながら、中に入っていきました。いろんなお店があって目が回ります。しかも、どこもかしこも文字ばかりで、その時の私には、そこがどこだかまったくわかりませんでした。
するとお母さんが「ちょっと買い物にいくから、ここにいてね」と言って、私の手を放し、子供向けのアスレチックコーナーの中に入れていきました。後姿の両親は、とても嬉しそうな顔をして、あっという間に人ごみの中身まぎれていきました。
それが、私が両親に会った。最後でした。
私は目の前の大きな遊具が、何のためのものかもわからず、クッションのブロックの上で、ずっと座って待っていました。
待って、ひたすら待って、ずっと待って、いつまでたっても誰も来ない。お父さんもお母さんも来ない。そうか、私は待つ場所を間違えたんだ。そう思って、そう言い聞かせて、私はフロアを壁伝いに歩きながら出口を探して、やっと駐車場にたどり着きます。
フロアの入り口のすぐ前に、車を止めたのは覚えていて、初めて乗った自分の家の車だけど、どんな形と色のものかは覚えていました。けど、そんな車はありませんでした。次第に電気が消えて、駐車場には車がなくなって、そっか、私は、きっと、待つ場所を間違えたんだ、と、駐車場から外に出ました。
あたりが暗くなっていて、周りの家の電気がついていて、かろうじてもと来た道を歩き、街の外れまで来て、ああそっか、私は捨てられたんだと、気づいたんです。いや、分かっていたけれども、あきらめたのです。
どうしよう。私は、何をすればいいのだろう。そう考えながら歩き続けて、ずっと山手の方に来たあたりで、ついに交番のお巡りさんに見つけてもらえました。
「どうしたの、家出?」
「お母さんとお父さんは?」
「名前は何て言うの?」
パトカーに乗って、中で質問される。両親に置いていかれた、と正直に話したけど、半信半疑といったところでした。
「じゃあここに名前を書いて」
そう言って手渡される白紙とペン。
けれど、私は文字が書けない。文字が読めない。文字が分からない。
かろうじて言葉としてアウトプットするのはできたから、拙い知識をもとに、お巡りさんに名前を喋りました。今はもう覚えていない、私の名前を。きっとよくある名前だったと思います。
けれど、そんな名前は、戸籍上、存在しなかったのです。
私の名前は、私が4歳の時に、初めて「覚えた」言葉だったし、その時点で、私はもう暗い部屋の中で生活をしていたのだから、その時点で私は「いないもの」だったわけで。
気が付けば、私は本当の意味で、一人ぼっちになってまったのです。
その時、交番の入り口を盛大に開けて、一人の女性が入ってきました。
「その子、私が預かるわ。」
腰に手を当てて、はっきりと言い放った女性。
神はショートカットで、細身で白いYシャツとジーパンがよく似合っている、丸眼鏡をかけた女性。
先生との出会いは、それが初めてでした。
「いい?これからあなたの名前は、あおい、いづな。いい、碧生、季縁。」
碧生季縁。
新しい私の名前。
そのあとはからは、たぶん、人並みらしい生活っていうものを送っていました。
生活をするための手続きだったり書類だとかは、いつの間にか先生がやってくれたみたいで、私は先生の娘ということになりました。
先生のアパートに連れて行ってもらって、毎日三食、どこかで買ってきたお弁当を食べさせてもらって、あったかいベットまで使わせてもらえました。
先生に連れられて幼稚園に行ったのはいいけども、文字は読めないし、自分でいうのもあれだけど、ふと眉っていじめられたし…。
「なら、私が勉強を教えるわ」
タンカ切って云ったけれども、その通りだった。文字が分からないなりにも、教え方を変えればいいと云って、ありとあらゆる言葉、知識、常識を教えてもらった。もらった、のはいいけれども、スパルタだったなぁ。おかげさまで、生きてはいけるようになりました。
先生のことは、実のところ今でもよくわからない。
本当にやさしい人だっていうことは分かる。たまに雑で、面倒くさがり屋でっていうのも分かる。一人暮らしになるまでは、いつの間にか私が掃除洗濯炊事としていました。
仕事は、分からなかった。なんかとても忙しいとは言っていたんだけど、結局何の仕事かはわからないままでした。
そういえば、私と同じくらいの子供がいるって話を、一度だけ聞いたことがあった。一緒に住みたいけど、複雑な事情があって今は別々に住んでいるみたいでした。
「私もね、一緒に居たんだけどね…」
確か、一度だけ私もその子に会ったことがあった。写真の女の子で、私と大して変わらない普通の女の子だったし、先生とそっくりだった。けど、先生とは変わってとても物静かで、とてもおとなしい子供だった。
確か、あの子のためにって、あの写真の場所にいったんだと思う。街はずれを超えたところ、ずっと車で移動した先の、だれも住んでいない集落。誰も住んでいないのに、自販機とバス停はあった。
ここに来ると、落ち着くんだとか、何とか。
そうだった。思いだした。
バスに乗った後、私はうたたねてしまって、気が付いたらあの写真の場所まで来てしまったんだ。
そこで目まいと一緒に、『先生』を見た気がした。山手のほうに歩いていく姿を、見た気がした。
思わずそのあとを追っていって、けもの道をひたすら進んで云って、半ばどうやって帰ろうかなぁと泣きそうになっていた時、私は双子の狐に襲われて。
なんで、双子の狐、なんだろう。
そうだ、私はあの子たちを、双子だって、知っているんだろう。
そっか、私は、あの子たちの、お母さんで。
いや、なんで、お母さんなんだろう。
ちがう、まだ、忘れてる。
私、あの場所について、『先生』を見たんじゃない。
あれは、先生じゃない。
先生じゃなくて、お母さん?
なんで、お母さんなんだろう。なんであの場所に。
ちがう。
そうじゃない。
ちがう。
私があそこで見たのは。
あそこで、会ったのは。
私のお母さんじゃない。
あの子たちの、あの双子たちの。
私は、あの子たちの。
お母さん「「お母さん」」
そう呼ばれて、パッと、目が覚めた。
目が覚めると、私の住んでいるアパートの部屋の中で、私は立っていた。ただこの部屋の内装は、今のものじゃない。私の覚えている限り、私が先生のところに来てすぐのときのものだった。
窓からは、あの時見た時と同じような夕日が広がっている。その夕日に照らされている私は、さっきの姿のままだ。手が大きく毛むくじゃらになって、足も同じように犬や猫のような形に変わって、大きなしっぽもぶら下げて、耳まで生えて、本当に、獣のような、姿だった。
「さっきまで、山の中にいて。それで。」
「いや、今もそこにいるよ。」
独り言に、返答があった。
振り向くと、部屋の入り口には双子たちと、一人の少年が立っていた。印象は、黒。
私と同じくらいの年齢、だとは思うんだけども、なぜだろう。その少年を見ていると、なんだか居ても立っても居られない。
襲いたいというよりは、じゃれたい、というか。そう、じゃれついていたい。撫でられたい。
ん、これって。
あれ。
「「お母さん」」
双子たちが駆け寄って、私に飛び込んできた。
またもハッとする。あぁ何考えているんだろう、私は。
「君は、その子たちのお母さん、だそうだ。」
「あの、あなた、は?」
「あぁ、僕は、うーん、なんていうか。」
少年は腕を組んで、少し困ったようなしぐさを見せた。
「まぁ、神様、かな。」
「…え、あ、神、さま?」
「まぁ、今はそういっても差し支えないだろうなぁ。」
「神、様、はぁ。」
なんだか、なんだろうか。
いや、今の私がこんな状態なんだから、信じないわけにもいかないんだろうけど。
それに、このしょ…神様に、会ったことがあるというか。
「神様がね」「つれてきてくれた」「ここまで」「わたしたちも」
「ま、まったまった、そんなにいっぺんに言われても。あの、神様、私は一体…」
「まぁそうだね。ひとまず自分を取り戻したことだし、元の場所に戻ろうか。あんまりここに長居するのもよくはないし。」
神様がそういうと、ゆっくりと近寄って、双子たちの頭に手をのせた。
なんか、いやほんとうになぜか、うらやましく思ってしまったのだけども、やっぱり、これは。
「じゃぁ、戻っても暴れないでね?」
「え、あ、あば…」
不意にもその顔にドキッとした。少し、顔が熱くなった。
けど、私が言い切る前に、視界がプツンと、まるでテレビを消したときのように消えて、暗転した。