灰の池 跳ねる鯉
大きな音。
大きな火。
大きな力。
大きなうねり。
そして女の子の、神様の大きな泣き声。
見渡す限りの灰色。降り注ぐ灰色。流れる赤。
遠くで聞こえる唸り。なだれ来るうねり。
全てをさらっていった後の荒れ地。そこに残るわずかな土に灰が覆い被さり、奇跡とも言えるような草木が芽吹き、冬を越して雪解けた水が一面に溜まり広がる。
それから何年たっただろうか。十もたっただろうか。
何時しか水の中だった。
何時しか水を掻いでいた。
何時しか掻かずに流していた。
自らが「体」を為して、自らが「泳」を為していた。
「あれ、はは様、ちょっと、これ。」
滞在2日目の鬼娘こと、雪輪が私のことを呼ぶ。買い物から帰ってきて直ぐ、早々と冷蔵庫を腹一杯にした私は、雪輪が触るパソコンのディスプレイを覗き込んだ。
「......あ。これ。」
「そう、これ。」
思わず私も、目を丸くする。
何故ならそれは、ディスプレイに表示された、あるアカウント名とアイコン画像によるものだった。
意図せず揃えたわけでもなく、意図せず親子で口が揃った。
「「灰鯉だ」」
その衝撃は、雪輪が思わず、街歩き用の装いから、瞬時に山伏の姿に戻るほどだった。
この水の中には、この身の他には草木しかない。はなしかけても、返答があるのは単調な感情。それもやむ無く。それらもこの身と同じほどの時しか、過ぎていない。
何時しかおおよそ、寂しいとも思った。
そう思えるような感情。それがあることに気づく。
何時しか季節は、幾度も巡った。
自由に動かす体。それが「人」の体も為せるのだと知った。
何時しか僕には、知識が有ることを知った。
「灰鯉が初めて来た時のこと、雪輪、覚えてる?」
「そりゃもう、はっきりと。だってはは様が連れてきたんだし。」
ずずずー。と雪輪コップから、カフェラテが無くなっていく。
行ってみたいと言うので、私の名前に似たカフェ屋さん?喫茶店?に来てみたのだけども、さっきとはまた違う意味で、雪輪は目を丸くしていた。
ちなみに、私も初めて来た。
2階の窓際。街が良く見えるところに、雪輪と二人で座る。回りには他のお客がいて、夫婦や親子連れ、かっぷる?という二人組がちらほらと。
私と違い、雪輪はどうってことないという。やっぱり鬼さんたちの血を継いでいるだけあるなぁと思う。けど、ここからでは御山は見えないと、雪輪は呟いていたのが聞こえてしまった。私も、そう思う。
カフェラテを平らげた雪輪は、はっきりと、といいつつも、思い出すように言う。
「灰鯉って、私や鶴葉、冬萌とは、何だろう、毛色が違う?って言えば良いのかな。あ、もちろんいい意味でだけど。なんだろう...はは様に、近い...?」
「おおー、いい線。というか、ほぼ当たり。」
ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす雪輪。さすが、私を「感じ」だけで探して見つけるほど。
「確かに、雪輪含めて、鶴葉も冬萌も「山伏」。けどなんだろ、純度って意味なら、一番が「灰鯉」なのかもね。」
そう、私よりも。
シロさんが少なからず影響しているとはいえ、自然に生まれた「神様」。
私も、雪輪のように思い出しながら、灰鯉を連れて来たときのことを言う。
「あの時はね。あのタイミングでしかたぶんダメでね。初めて灰鯉の声が聞こえたの。」
特にやることもなく。かといって、何かしたいのかと言われたとしても、そんな思い付くわけでもなく。
幾らか流れる季節を数えたけども、それもいつしか数え忘れて。
自らが、何故あるのかという自問は、答えがでないと解ってからは止めて。
この時は、「ここから外へ」という発想も無く、ただただ水の中を泳ぐ。何故だかこれをすると、回りの草木が喜んでくれるのが、嬉しいと感じた。
僕は、そう思っていたのだけども。
僕の口からは、一言、言葉が漏れていた。
意図してか。
どのような感情か。
良くわかっていたいままに。
「僕は」
「なんかずるい」
むすっとしてる。というよりは、灰鯉に対して妬いてるような。
「灰鯉じゃない。はーはーさーま。ずるい」
私か!
しょうがないからと、行き付けのお茶屋さんにて、お夜食代わりの茶菓子で手をうってもらった。お陰で上機嫌だ。
「にしても、驚いた。まさか灰鯉がちゃっかり、はは様みたいなことしてたなんて。」
「ねぇー...さしもの私も知らなかった...。しかもちゃっかり、私のチャンネル、登録してたし...。」
今度、配信とかしてたら、凸?してみようかしら。
「そうか。灰鯉、最近私よりも外に出てたし、なんかゲーム?とかしてたし。てか、なんか最近、服も買ってたし!」
「おおー。なによりなにより。」
「あ、そうか、さっきのYouTube、ゲームやるからってこと...?
ぐぬぬぬぬぬ、私よりも先にーーー!」
と、我が子がついに外に目を向けるようになって、私としても願ったり叶ったりなのです。
むしろ、私が見習わないとなぁ...。
そんなことを思い更けながら、ようやくなれた固いアスファルトを歩き、家路につくのでした。
「遅くなって、ごめんね。ようやく声が聞こえたから、ようやく、手が届いたの。」
僕を引っ張りあげて「くれた」のは、母さんだった。
白い着物の袖を揺らせて、水面に立つ姿。僕の中にある知識の、あの女の子の姿とは少し違うけど、つい「神、様」と口にしていた。
「そんなすごいものじゃないし、どっちかっていうと、君の方が「神様」と言うべきなんだけど、ま、いいや。
ねえ、もし君が良ければ、私の、私たちの家族にならない?」
僕が初めて、水から、自らが、跳ねた日だった。
「ああ、よかった。
もうここは、君のお陰で、十分以上に神域になってるし、君が離れてもいいのであれば、わたしの我が儘もあるんだけど、折角なら、何て思ってたの。
ごめんね、これからよろしくね。」
そう言った、言ってくれた母さんの顔を、はっきりと今も覚えている。
「そうそう。名前はもう決めてあるの。君は」
「灰鯉ー。かーいーりー。ただまー。」
母さんのところに遊びにいくと言ってから四日目。宣言通りの日程で、姉さんは帰ってきた。
玄関先でどたばたしながら、今のソファーに転がりこむ。
「姉さんお帰りー。今日も隣のおばちゃんからリンゴもらっちゃったよー。」
「私の分、ちゃんととっておいてよー。灰鯉、気がつくと全部食べちゃうんだから。」
ふむ。気を付けよう。
どたどたと階段を上り、下り、もう一回上り、下り。
そのタイミングで、僕は読んでいた本を閉じ、食べかけのリンゴをお皿の上に置いた。
姉さんはすでに「山伏」の姿に為って、居間に来たと思えば、ソファーに飛び込んだ。つかれた、とも、うあー、とも言えない声が、ソファーに埋もれた顔から漏れて出ていた。
「楽しかった?」
こくり
「よかった。母さんは元気だった?」
こくり
「よかったよかった。」
きっと僕も僕なんだろうけど、母さんこそ、外に出てもいいんだと、本当に思っていた。
僕らも大概「外」を知ってきたし、今度は母さんの番だとも。
「あ、そうだ姉さん、また新しいゲームを朝埜さんからもらったんだー。ネットにあるおろしろそうなのも見つけてねー。」
「それ!!!」
がばっと、姉さんが勢い良く起き上がる。
「ちょっと!いつの間に灰鯉も!はは様もー!!ちょっと前まで図書館で本読むのがすきーとか言ってたのにーーー!」
そしてじたばたしながらまたソファーに沈む。
そんな楽しい姉さんを眺めて、今日は何をしようかなと考える。
またみんなと話ながらなにかするか、姉さんと一緒にゲームするか、それとも久々に、そうだなぁ、あの池にいってみようかとも。