火の鶴



赤い。

燃える。

燃えて燃えて燃えて。

夜の空に上る赤。

吹き上がる熱の風。

燃えて。

燃え上がって。



きっと私から、この光景が拭えることはない。

決して拭わせてなるものかと、大事な大事な首飾りを撫でながら、私は何時も思うのです。




母様は、空を飛べる私を羨ましいという。

そんなそんな。

確かに私は空を舞えるけども、灰鯉にぃや雪輪ねぇ、冬萌っち、そして母様に比べたら、そんな大層なことはないのです。

たしかに、ほんの少しの「火」を扱えて、御手伝いしている温泉で湯沸かしなり料理なりとで重宝されていますが、元来、引っ込み思案なのです。こみゅにけーしょん、めにい、めにい?めいびー?にがて、なんです。

まぁ確かに買い物は好きだから、よく外にも出ます。こっそり麓まで飛んで、ショートカットしたりします。けど、飛ぶのは良いけど、よく着地失敗します。

それに私は袴が好きなので、空なんて飛んだら、ね。ほら。ね。


と、なんだろう、私、いいとこあるのでしょうか。

と思ってしまうほど、卑屈な私。

これでも、私も「山伏」なんです。ほんとなんですってば。







昔々は、厳密に「山伏」たる選定基準があったそうです。ですが、雪輪ねぇの父上こと、「鬼さん」と言われる方がそれを壊して、今の母様である「山長」による選定に任せられているそうです。


たまーに、「それらしいこと」はしますけど、母様がほぼ自分で片付けちゃうので、私たちはいつも後片付けのお手伝いでした。今は形式上「引退した」母様に代わり、私たちがこの山を見回っています。それに母様ではなく山神の白様が居られるので、黒い方曰く、そんな大事にはならない、とのことでした。

それこそ大事なんて、記憶の限りですが、私が来てからの50年弱で3、いや、4回くらい、じゃないでしょうか。確かですけど。





「たずはー、ただまー。」


と、玄関を景気よく開ける音と共に、雪輪ねぇが襲来(帰宅)。そか、もう夕方になってたんだ。ご飯支度してたらすっかり忘れていました。

普段の私は麓の旅館のお手伝いをしているからか、家の中だと一番早く帰ってこれるのです。

たまに舞を披露してみたりとかもするけど、女中さんたちのお手伝いもするけど、一番得意なのは、温泉の窯の調整だったりするのです。

火を扱うのは、ふふん、私ちょー得意なんです。


「おなかすいた焼き鳥食べたい辛いもの〜」


「あ、おかえり。ちょっと待ってててねー。も少しでできるからー。」


うーいー。という延びた声が、ソファーの方から聴こえた。またどうせ鬼モードになって、ぐーたらしてるのだろうなと、台所の鶴葉は予想します。

もう、今日は珍しく母様が帰ってくるというのに。

と言うか私に焼き鳥て。雪輪ねぇのことだから他意も何もないのは知ってるけど、知ってるけど、なんかこう、ね。


「あれー、かいりはー?」


「灰鯉にぃならもう帰ってきてるよー。けど、お昼寝してた。」


「あ、それ、朝まで起きないやつだ。冬だもんね。」


「ね。まぁゆっくり寝かせておいてあげましょ。冬だし、灰鯉にぃには寒いの辛いしねー。それに母様、明後日までは居るみたいだし。」


「居るよー」


「あら、ママ上そうなん...あれ居る!?」


「え!?あ!おかえりない!?!?」


いつものごとく気の抜けた声で、「ただいまー」と言った。というか、いつの間に炬燵でくつろいでいるのだろうか。全く気づかなかった。


「え、普通に雪輪の後ろに続いて、おうち入ってきたよー?」


「ええ...」


いや、こと雪輪ねぇなら気付きそうなものだけど、ま、まぁ、いいや。


「ともかく、せっかく帰ってきたから、晩御飯、私作ろっか?」


「いいのいいの、たまにはくつろいでてよ。もう作り始めてるし」


「あ、なら私、お言葉に甘える〜。あ、雪輪、スイッチ私あるよ」「まじ!?」


なんて二人の会話を聞きつつも、つい自分の事を放り出して頑張るのだから、と、思っていた。休んでほしい。ほんとに。

それもけど母様らしいと思うことにして、昨日仕入れた鮭の切り身を、ホイルに包みこむ私であった。

今日の料理は鮭の包み焼き、うぃず、キノコと山菜とバター。

ふふん、卑屈で取り柄のない私でも、さっきも言ったけど、火加減には誰よりも自信があるのですよ。ふふん。







連れられてきた。

とは言いましたが、厳密には少しばかり違いました。

私自らが、この御山に辿り着いて、自らがいつの間にか、「山伏」に辿り着いたのです。


只の人。

只の子供。

只の普通の女の子でした。

生まれ育った家は、そこまで大きくもない御屋敷でした、けれども、ほんの少しの裕福と、とても優しい両親の幸福を受けて、極々普通の、女の子でした。

昔ながらの商屋で、戦争の被害も少なかった私のお家は、戦後間もなくとも、なんとか繁盛しておりました。阿漕なことはしていなかった様ですし、本当に、お父さんの手腕がよかったのだと、よく周りが話していたのを覚えています。


転機、その日はいつもの通り、好きな舞踊の練習を、たまたま蔵でしていたのです。母家に来客があったものだから、ほんとうにたまたま、偶然でした。

書家のの昼下がり。埃臭くもなくて、こんな日には避暑となるこの蔵が、私は昔から大好きでした。爺婆が存命の頃も、かくれんぼや、昔の大事な小物を見せてもらったりと、よく此処で遊んでもらいました。



けれども。


ここからは、悲劇です。

どうしようもない、変えられない過去です。



突然、女中さんの悲鳴が上がりました。3つの甲高い悲鳴は、すぐにひとつ、またひとつと消えていきます。


次に、お母さんが血だらけで私の元にやって来ました。

背中に大きな刃物傷、まるで刀のような。来ている着物も赤く染まり、辛そうなお顔で、それでも気丈で。


戸惑う私にお母さんは、「逃げて。強く、生きて。ごめんね。鶴葉。」と告げて、蔵の隠し通路から外に逃がしてくれました。


もちろん、当時の私は何が何だかわからず、泣きながらもお母さんから離れようとはしませんでした。本能というか、直感的に、これで一生会えなくなると分かってしまったのです。


けれども、優しい顔でお母さんは、私を突き飛ばしました。





生きて。





次の瞬間、母屋から火の手が上がり、隠し通路の出口も、瓦礫と燃え盛る炎で埋まってしまいました。お母さんと、一緒に。





赤い。

燃える。

燃えて燃えて燃えて。

夜の空に上る赤。

吹き上がる熱の風。

燃えて。

燃え上がって。




ああ、私だけになってしまった。

これからは一人で生きなくては。

けれど、非情にも当時の私は、子供だったのです。

どうすればいいのか。これから、どこへいけば良いのか。何も分からず。

おなかがすいた。お母さん。どこ。やだ。帰りたい。


と。


ただそれでも、私は歩くのだけはやめず。

何日か、ただただ歩いて、この御山に辿り着きました。

そこで気を失って、「ああ、漸く」と諦めた瞬間でした。






暖かい、お母さんのような。大きな手。

白と薄緑の着物に、長い後ろ髪を束ねて。スズランの色香。

その人が、私の前にしゃがみ込んで、手を取って。








「よく、がんばったね」








「って、え、みんなどしたの。顔隠して」


こたつに座った母様と雪輪ねぇと冬萌っちが、皆箸を置いて、「泣く、泣ける、辛い」とか呟いていた。

というか母様に至っては当事者。最後出てきたでしょうに。かなりボロボロに泣いてる。


「なにもう、昔話だし、それに前にもした話だってば。」


こんな50年も前の話に、なんか逆に恥ずかしい。




そう。

50年もたった。私の姿は、あのころからあまり変わりはないのです。

実年齢だと68歳というのに、18歳のまま。


けれども、それを「悲観」とするか、それともあの『火』から生きて、今こうやって皆が居る今を「幸福」とするのかなんて、言わずもがな、決まっていのです。


私がきっと空を飛べるようになったのは、「鶴」として「山伏」と為したのは、きっと母様やみんなを連れて、空を飛ぶためなのだろうと思います。

空を飛べる私を、うらやましいと母様は言います。

なればこそ、私は、「それ」をかなえたいと思うのです。



というか、せっかく「かっこよくて」と付け加えようと思っていたのですけど。

鳴きながらもご飯を食べる母様を見て、今度にしようと思った私でした。苦笑いしながら。


「みんなもうー、おかわりは、泣いてないで食べて、ほらー。」










少しだけ。

残酷で、皮肉なと、思ってしまう。


「鶴」と「火」。


何の因果か、名と験が現れることはよくある話だと思う。

思うけど、あまりにでは、ないだろうか。


発端は人からの為りとはいえ、正直、鶴葉も自然発生の類。灰鯉にとても近しい。

きっと、今の「山伏」の誰よりも、長く永く生きる。

あまつさえ、人が叶えられなかった翼させ、この子には火と共に授けられたのです。



だからこそ。


そんな願いも込めて。

私は鶴葉に、「山伏」の輪を授けたのです。












マエ ツギ